Artist’s Statement / 作家の想い
Artist’s Statement / 作家の想い
Yuichi Ueda
I have devoted nearly thirty years to exploring European classical painting techniques, particularly Silverpoint and Tempera, in pursuit of beauty and stillness.
These techniques date back more than 500 years and have largely fallen out of use today, even in Europe, where they originated. Silverpoint was traditionally used mainly for drawing and sketching. I have developed my own method of layering Silverpoint lines dozens of times to cover an entire painting surface, creating a pictorial space that brings together European tradition and a contemporary Japanese sensibility.
Albrecht Dürer’s delicate Silverpoint drawings have been a profound inspiration to me. My teacher, Tsutomu Takahashi, taught me the importance of learning from the past while developing my own way of expression. I have also been deeply influenced by Japanese ink culture, particularly the artistic philosophy of Tōhaku Hasegawa.
Beautiful materials, including silver and pigments, continue to inspire my work. Through the lines I draw and the motifs I depict, I seek to express the preciousness of life. My paintings carry the time I have spent living and creating; they are a testament to the life I have lived.
Why use techniques that are more than 500 years old today? I invite viewers to consider this question and to discover the beauty that emerges from the meeting of historical techniques and a contemporary Japanese sensibility.
上田 勇一
私は「美しさ」と「静謐さ」を追い求め、シルバーポイントやテンペラを中心とするヨーロッパ古典絵画技法を専門に、30年近く制作を続けてきました。
これらの技法は500年以上前にさかのぼり、発祥の地であるヨーロッパでも、今日ではほとんど使われなくなっています。伝統的に素描や下絵に用いられてきたシルバーポイントについて、私は線を何十回も重ね、画面全体を覆う独自の技法を発展させてきました。ヨーロッパの伝統と現代の日本人の感性を融合させた絵画空間を生み出すことを目指しています。
ドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの繊細なシルバーポイントの素描は、私に大きな影響を与えてきました。師である高橋勉先生からは、過去から学びながら、自分自身の表現を育てることの大切さを教わりました。また、長谷川等伯の芸術思想をはじめ、日本の墨の文化からも深い影響を受けています。
銀や顔料などの美しい素材は、今も私の制作の原動力です。描く線やモチーフを通して、命の尊さを表現したいと考えています。私の作品には、生き、制作してきた時間が刻まれています。作品は、私が生きた証です。
現代において、なぜ500年以上前の技法を使うのか。その問いを、ぜひ考えてみていただきたいと思います。歴史ある技法と現代の日本人の感性が出会うことで生まれる美しさを、作品の中に発見していただければ幸いです。
技法説明/
シルバーポイント
シルバーポイント(銀筆、銀尖筆)は、中世末の12世紀から17世紀半頃まで素描の技法として一般的に知られていた。
きわめて耐久性を富み、500年以上の長きに渡って描かれた当初の輝きを保障してくれる。
ルネサンス期には、レオナルド、ラファエロ、デューラーなどが、すぐれた作品を残している。
銀筆は描いた当初は、鉛筆のような青黒い線だが、時間の経過とともに銀が酸化し、その線の色はややこげ茶色に変色するという特色を持っている。
自然酸化ならば、半年から一年で徐々にヴェルダッチオ風の色調(茶褐色)になる。
例えるならば、明治時代の銀板写真のように美しいセピア色になる。
また、銀筆だけで作品を仕上げるには、光の根源は「地の明るさに求める」ことが必須である。
よって、写真で言うならば、ネガ・ポジ反対の発想で描いていく。
技術は、古典のメソッドで徹底した職人技で描きながら、モチーフは今生きている21世紀を描くことを心がけている。
評論「線の先にあるもの」
2022年
建築家/KIA代表 市瀬克己
およそ、人として生きるならば、何かを残さずにはおれぬ。
私は、そう言い続けて人間としての本質に向き合い続ける上田勇一という男と十年ぶりに再会した。 彼の表現手段である“銀筆”という古典画法は、銀の酸化によって朧げに線が現れるのを待つという、気の遠くなる様な現象の先にある絵画である。
上田勇一は言う。 「この線に魂を刻み付けているのだ」
そう言い続けて二十年以上が経った。
彼は、この色彩を伴わない無数の線の集積にこそ、自らの世界があると信じて走り続けている。 だが、今回出典された最近の作品には新しい境地を見る事も出来る。
彼の線は本質的に「やわらかいもの」を求めてやまない。
それは、おそらく彼自身の本質を表現しようとする衝動であるだろうと推察する。 元々彼のいた “建築” の世界から発した“線”は、製図法の目的である建築と同様に堅牢で、時に他を寄せ付けぬ厳しさがある。 そのようなものと彼の衝動とは相容れないのであろう。 若い頃の探求する心、その喉の渇きにも似た渇望は、日本古来の紙の世界に入ることで一つの道を見出したのではないか。 私はそんな風に理解した。
物質の特性を現すには、光を考えなくてはならない。 光の扱いは建築の大きなテーマでもあるが、絵画における光は精神の現われでもあり、彼は紙に描き光を削り出すことで、自らの心の奥底を照らし、曝け出そうともがいているのかもしれないなどと考えたのだ。
彼の絵画に対峙するとき、人間としての上田勇一の本質と対峙すると思って絵の前に立つと、また奥深いものがあるに違いないと確信するのである。
評論「上田勇一の仕事」
2012年
アスクエア神田ギャラリー 伊藤厚美
銀筆/Silver Pointとは、直径2ミリの銀の棒をやすりで磨き、鋭利に尖らせたもので描く。
美しく磨かれた石膏地に銀で描かれた線は、時間の経過と共に酸化してセピアトーンに変化するという特徴を持つ。
ヨーロッパ中世に起源を持つこの技法に作家は魅せられ、追及している。
この仕事は、集中力と忍耐を要求する。
現代のインスタントなスピードの時代にあり、作家は最も非現代的と思われる仕事に没頭する。
その制作の歩みは遅々としている。
作家にとって表現とは何であろうか。
モチーフとして用意された物に深い意味はあるのだろうか。
空想上の鳥、水面の映像、梨。
作家はモノと空間のはざまを彷徨している。
きわめて細く硬質な銀筆によって描かれた線は、はざまを刻んでいく。
没頭する画家にとってはその行為の時間のみが生きることを担保しているのかもしれない。
永遠の時間に続く道。
それを想い描く作家は、決して急がない。
おそらく、緻密に描ききることによってしか得られない充実を知っているのだろう。
「上田勇一展」によせて
2010年
首都大学東京講師(当時)
ドイツ文学研究者
豊倉尚
上田さんの絵と対面していると、青とオレンジ(橙色)の暖かい色調に引き寄せられました。
青は蒼空の、橙は夕焼けの色。
昨日の夕暮れ、大学に近い池の周りを鴨の家族が十羽ほど、一日の締め括りのように周回飛行していました。
「今日も楽しかったねぇ!さぁ、これから巣に戻って、みんなで寝んねするんだよ…」_。
青と橙と暗闇が交わる夕映えに舞っている、血の通った羽毛の主たちの優しさと柔らかさ。
それを間近に感じたとき、画廊での時間の刻々が漸く蘇るように思いました。
銀筆による細密な線から浮き上がる色彩の諧調は四大元素、特に空(風)との親和性を持つように思われます。
青と橙の黄昏は光と闇、生と死の交差するつかの間の世界。
私自身もまた物質によって構成されています。
その物質的想像力の促すままに上田さんの、特に鳥の形象化を観じてみると、どうしても天と地上の中間者、あるいは(やや性急だけれども)神意の沈黙せる使者…こういった観念が浮かんできます。
しかし画面の鳥は飛翔してはいない(「みつめるかわりに」「あたためる」)。
暖かい羽毛の奥で何かを待ち、永い時間の中で何かを耐えているよう。
天空、即ち何らかの悦ばしい恩寵を絶たれた現代。
その冷たく硬い地上にあって、鳥たちは間(あわい)を画面に刻みつつ、「安らかな不安の期待(カフカ)」に優しく身を委ねているように思われたことでした。